コチラの風習は少し違っていて,自分が子どもの頃,年越し蕎麦を食べていたのか記憶が定かではありません。
ひとつ歳をとるという意味で,新しい火であぶった「としもち」を食べていました。
蕎麦つながりの彼女とももうずいぶん会っていません。遠方の親戚は,冠婚葬祭でもないと会えません。自分が歳をとって動くのが億劫になっているのがわかります。
来年はいい年でありますように。なんだか本気で思います。やっぱり歳をとったのです。
コチラの風習は少し違っていて,自分が子どもの頃,年越し蕎麦を食べていたのか記憶が定かではありません。
ひとつ歳をとるという意味で,新しい火であぶった「としもち」を食べていました。
蕎麦つながりの彼女とももうずいぶん会っていません。遠方の親戚は,冠婚葬祭でもないと会えません。自分が歳をとって動くのが億劫になっているのがわかります。
来年はいい年でありますように。なんだか本気で思います。やっぱり歳をとったのです。
たとえば谷川雁,たとえば吉本隆明・・同じ世界に生きて,同じ時代にいて,同じ書物の中に登場する魅力的な女性・・かれらのような人,彼女のような人物をアイドルというのだ。
コロナのせいで福岡は近いのにずいぶん遠くなってしまった。もう一年,かれらの顔も見ていない。
ひとりひとりについて,ものがたりがある。だれからはじめよう。
彼と別れてからもう20年くらいにはなる。ながく仕事をした仲間だ。生真面目ないい男だ。すがたかたちもだ。
長野へ帰って農業を始めた。単に実家を継いだのではなく,借金をしてキノコ作りをはじめ苦労したけれど,大成功している。彼のところのキノコ作りは,いわば工場での物作りに似ている。段階を追って成長していく,流れ作業だから休むことができない。手がかかるのだ。次々次々育って製品化されるから,毎日毎日,菌を植え付けて,それが成長していくのから,相手は生き物だから,休みはないのだ。
コロナは彼にも災いをもたらしている。これはもう未曾有の災害だ。
長野はやはり遠い。
北陸出身のかれはふるさとの名産品,さかなの詰め合わせを送ってくれる。
コロナのコロニー,密集地東京に住んでいるかれの顔を,もう一年は見ていない。みんな歳をとった。歳をとったというはなしばかりをするから,さらに年寄り臭くなるのだと・・・
さて,年賀はがきの用意くらいはしておこう。とは思う。
これは季節の変わり目のいいかげんな雨だ。いい加減なのは季節を統べる神々だ。冬にしてはあたたかく,秋にしては寒いのだ。
いいかげんなのだ。クリスマスが近くなれば少しは寒くなる。年明けには震えるくらいにはなるだろう。けれどまあ,数十年前の霜月はこのくらいの気温だった。このことは間違いない。
季節設定をしようとしているのだ。
今日は何かを書こうと思ったのですが。やっぱり書けそうもありません。何かとは,そんなたいそうな意味はありません。閑話でいいわけで,それ以上のものを準備できるはずもないのです。だからです。
ほんの少し秋の気配です。
普遍的観念の整合的・論理的・必然的な体系を組み立てる努力である。
こんな魅力的な文言に魅了されてしまったとき,大げさでなく世界の見え方が変わってしまった。少なくともそう感じた。でもそれは現実の生活に何の変化を与えるものではなく,利するものがあるわけでもなかった。
ただ,興味深い。おもしろい・・というだけのことだ。
というよりも外が暗くなる頃合いを感じることで季節の移り変わりを知るような気がする。感覚が鈍っているのだ。
鈍っているという。まるで以前は鋭かったと言いたいだけなのかもしれないが。視力の衰えと反比例するように聴覚は鋭くなる。